令和3年度秋の叙勲にて 鈴木せい子前会長が「旭日双光章」を受章されました 

 

叙勲 旭日双光章の栄に浴して

        群馬県助産師会顧問 鈴木せい子

 

 

陽春の候となりました

皆様におかれましては益々御清栄の事とお慶び申し上げます.  

この度、令和3年秋の叙勲に際しまして、はからずも旭日双光章の栄に浴し身に余る光栄に感激しております。

 これもひとえに、長年にわたる会員初め皆様方の温かいご指導、ご支援の賜物と誠に有りがたく心からお礼申し上げます。

 顧みれば開業助産師として約40年、県助産師会長として26年間、ただひたすら駆け抜けてまいりました。開業当時は地域で活動する開業助産師は消滅しかかっており、先輩から引き継がれるものも無く、手探り状態で、まさにゼロからの出発でした。分娩を扱うにも嘱託医師の引き受け手も無く、救急医薬品の入手にも苦労しました。艱難辛苦を乗り越え、開業10年経ち、助産院の体制が落ち着いたことから、職能団体である県助産師会の運営に携わることになりました。明治・大正生まれの会員が大多数で昭和二ケタの会員は数名のみでした。理事会はいつになっても会議がはじまらず、手料理をふるまう懇親会でした。当時地域で働く助産師の拠り所としての県助産師会は法人を解散手続き中でした。官報にも清算人が選定され法的にも事実上解散同然。ただちに臨時総会にて解散を白紙撤回して再建に奔走、それが会長としての第一歩でした。本来は2年毎に行う法務局への手続きも行っておらず、22年ぶりに受理していただき再建でき、平成9年度母子保健事業が市町村移譲に何とか間に合いました。以来後継者の育成を図りつつ行政と連携を図りながら地域母子保健事業の向上に尽力し今日に至っております。あの時に解散していたら今日の助産師会はなかったと思います。

 この度一番の懸案でした、会の事務所も設置できました。長年、鈴木助産院が事務所の役割も兼ねていたことから、会長退任時に事務所設置は、解決しなければならない大きな課題でした。将来を見据え事務所設置資金を積立して準備してきましたが、資金面では到底間に合わず、賃借にするか、独立した建物にするか検討を重ねてきました。会員の皆様からの負担金とクラウドファンデング等で資金繰りを工面し、私も資金援助させていただき独立した建物を取得。さらに会立すずの音助産院を開設でき、本県の母子保健事業の拠点を築くことができました。これも一重に皆さまの多大なるお力添えによるものと重ねて感謝申し上げます。 

今回の受章は26年間という長い道のりを会員の皆さまとともに歩み、築きあげた足跡だと思っていますので、会員を代表していただいたものと重く受け止めております。受賞と助産師会事務所、すずの音助産院の開設が重なりましたことは、望外の喜びであり幸せでもあります。生涯かけて走り抜けた証がぎっしりと詰まっています。心血を注ぎ、エネルギーの全てを使い果たしました。今は26年間の重責を果たすことができホッとしています。後は皆さん出番です!拠点を有効に活用して、母と子の幸せのためにお力をお貸しください。

今後とも会がより発展できますようご指導、ご協力を賜りますようお願い申し上げます

末筆ながら皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げご挨拶にかえさせて頂きます。

        

 

                                               令和4年4月吉日                鈴木 せい子

 

令和3年度秋叙勲 伝達式の様子(於 県庁昭和庁舎)